子供のものであると同時に大人のものでもある童話昔話

赤ずきんちゃんや、桃太郎、シンデレラなど、誰もが小さい頃に一度は読んでもらったことのある童話。大人になってから読み返しても、懐かしい気持ちになりますよね。

また、子供の頃にはよく意味がわからなかった童話を、大人になってから読み返すと、登場人物の気持ちがわかったり、その行動の意味を理解できたりします。その他、最近の携帯電話のCMには、昔話のキャラクターが起用されています。

彼らのことを、初めて見たにも関わらず、その素性や特性などがわかり、親しみさえ抱いてしまうのは、子供の頃に童話に触れていたためでしょう。

子供の頃から大人になっても楽しむことができる、という点で童話や昔話というものは子供のものでもあり、同時に童話を読んで大きくなった大人のものでもあるのではないかと思います。

さて、お気に入りの童話は誰にも一つはあると思いますが、このブログでは、誰もが知っている有名な童話の中から「実はこの童話の原作には意外な事実がある」というものや「有名だけど結局どんな話だったかほとんどの人は覚えていない」というものなどを紹介していきます。

というのも実は、童話というものは何十年何百年も前に原作が作られてから現代に至るまでに「子供に読み聞かせても害のないように」という理由や「その時代に合うように」という理由で、何度も微妙に書き換えられているものが多いのです。

子供にはとても聞かせられない!?童話や昔話の原作

子供に聞かせてはあまりよろしくない話、ということで逆に、大人が聞くと「えっ、あの主人公、実はそうだったの?」と興味をひかれるような内容であるものも多くあります。

あなたのお気に入りの童話にも「実は」という真実が隠されているかも知れません。「グロテスク、または大人の事情で」など、子供にはとても教えられない内容である場合もあります。

なので、原作の秘密を誰かに教えるならぜひ大人の方に教えてあげてください。

それでは本文に入る前に、どのような童話についてお話するか、いくつか少しご紹介しましょう。まずは赤ずきんちゃん。赤ずきんちゃんと言えば、赤いずきんをかぶった女の子とオオカミが出る話ですね。実は…赤ずきんちゃんは原作ではおばあさんの肉を食べたって知ってますか?

次に、桃太郎。桃太郎と言えば、桃から生まれた元気な男の子が、猿キジ犬らと鬼が島へ鬼退治に行く話ですね。実は…桃太郎は桃から生まれたのではなく、ちゃんと人間から生まれた子供だって知ってますか?

その他、嫉妬深い継母の毒リンゴの罠にかかって、死んでしまった白雪姫…その白雪姫が、毒リンゴを吐き出して目覚めた時、実は、白雪姫の棺を譲ってもらった王子様はガッカリしたかも知れない、その驚きの理由とは…。

などなど、昔話や童話の原作トリビアをたくさん紹介していきます。どうぞ、あなたのちょっとした豆知識に加えてください。

叶わなかった恋に海の泡に、または火あぶりになった人魚姫

人魚姫、といえばディズニーなどでもアニメになっていたり、ミュージカルにもなっていたりするので、あらすじをよく知っている方も多いでしょう。

とくにディズニーのアニメでは、王子様と人魚姫はハッピーエンドで終わるために原作も、そうではないのか、と思っている方もいらっしゃるかと思います。

しかし、原作では人魚姫の恋は叶わず、海の泡になってしまったり、本によっては火あぶりにされて死んでしまう、という悲惨な結末のものもあるようです。今回はこの人魚姫について紹介していきましょう。

人魚姫は、「裸の王様」「マッチ売りの少女」「みにくいアヒルの子」「親指姫」などの作者であるアンデルセンによって書かれた童話で、一番最初に世の中に出回ったのは、1836年のことでした。

アンデルセンは、70年という生涯の中で、恋をすることはあってもその恋が叶うことは無かったと言われており、一生を独身のまま過ごしました。

人魚姫の原作では、彼女もまた、最後までその思いが王子様に伝わることはなく、短い人生を終えます。人魚姫の童話は、そんな「恋が叶うことが無かった」というアンデルセンの悲しみや苦しみが反映されている…とも言われている作品です。

人魚姫は、海の中から海面に顔を出した時に偶然見かけた豪華な船の上王子様に一目惚れをします。まもなくその船が転覆し、王子様が海に投げ出されてしまったことで、人魚姫は浜辺で王子様を介抱します。

ところが、浜辺の向こうから人間の女性がやってきたために身を潜めると、王子様は目を覚まし、その女性が介抱してくれたもの、と思い込みます。どうしても、愛する王子様に「介抱したのは自分だ」と伝えたい人魚姫は海の魔女のところまで行って、人間の脚を手に入れようとします。

原作によると、ヒレから変えてもらった人間の脚は、歩くたびに酷い激痛が走ったようです。また、多くの童話では、「脚と引き換えに人魚姫は美しい声を奪われた」とだけ書いてありますが、訳された原文によっては、「舌を切られたために声を出せなくなった」という記載があります。

その後、王子様と人魚姫は話ができないながらも交流を深めますが、残念ながら王子様は浜辺で出会った人間の女性との結婚を決めてしまいます。

海の魔女に「王子と結婚できなければ水の泡になって消えてしまう、人魚にも二度と戻れない」と言われていた人魚姫、そんな彼女のことを思ってお姉さんたちが、海の魔女から魔法の短剣を借りてきます。

日が昇るまでに、その剣で王子を刺して王子の血を脚に垂らせば、再び人魚に戻れて海の中で暮らせるということでしたが、人魚姫は王子様を刺すことができずに、日の出とともに海の泡となって消滅してしまった、というのが原作のあらすじです。

または、王子様の部屋に短剣を持って忍び込んだ際、家来たちに見つかり、王子を殺そうとしていたという罪で火あぶりになった、という結末のものもあるようです。

アンデルセンも失恋した時「海の泡になって消えることができたら、とても楽なのに」という思いでこのような結末にしたのかも知れません。

ダメ人間(人形?)具合に思わず呆れる…ピノキオの冒険

ピノキオ、といえばディズニーでもアニメ映画になっていたり、実写CG映画にもなっていたりするので、あらすじもよく知っているという方も多いでしょう。

「ゼペットじいさん」によって、ただの棒切れから、人形の姿にしてもらった木製の人形「ピノキオ」が、色々な世の中の悪者にだまされそうになったり、大きなサメに飲み込まれたりしながらも、最後には妖精の力をかりて立派な人間の少年になるという物語ですね。

本来は「ピノキオ」ではなく「ピノッキオの冒険」というタイトルとなっています。今回はこちらの童話について紹介していきましょう。

さて、ピノキオは1883年に初めてイタリアで本が発行されました。作者はカルロ•コッローディという人物で、その他の作品には「ピピの冒険 森の小猿」などが挙げられます。

現代の物語ではピノキオは、最終的にはゼペットじいさんと協力して、大きなサメの腹の中から脱出するという、「勇気ある優しい少年」というイメージを持っている方もおられると思います。

しかし原作でのピノキオは、当初は人の忠告など話も聞かない、すぐにうまいはなしに何度も懲りずにだまされるというダメダメ人間(ダメダメ人形?)ぶりでした。そのダメダメな例をいくつか紹介していきましょう。

街中を逃げ回って騒ぎになったことで、ゼペットじいさんが牢屋に入れられてしまったのを良いことに「うるさい人間がいなくなった、遊んで暮らせる」と浮かれているピノキオに、忠告をしてくれたコオロギに対し、「うるさい」と木槌を投げつけて殺してしまいます。

学校へ行くのに必要な練習帳を、お金が無いので、寒い中上着を売ってまで買ってくれたゼペットじいさん。そうしてやっと手に入れた練習帳を、ピノキオは通学途中で見つけた人形芝居小屋に入りたいがために、売って入場料に変えてしまいます。

街で出会った、脚を引きずる怪しいキツネと、目が見えない猫に「君の持っている5枚の金貨を土の中に埋めて、水と塩をやるとたくさんの金貨が成る、金貨の木が生える場所があるから行こう、金貨の木を生やそう」と言われその話を簡単に信じて、実行しようとします。

まじめな男の子になると決意してすぐ、遊んで暮らせる「おもちゃの国」という場所に誘われて付いて行き、結局その場所で半年近くもの間遊んで暮らします。その結果、ロバの耳がはえて最後には体全体もロバに変化してしまい、サーカス小屋へ売り飛ばされます。

その他にも、本編には色々なエピソードがあります。世の中には確かにうまい話や楽しいことがたくさんあると思います。しかし、ここまでたくさんの誘惑が出てくる童話と、そのすべてにだまされる主人公も珍しいのではないでしょうか。

私なら、物語を読んでいる間にそんなだらしない主人公のピノキオに愛想を尽かしてしまうかも知れません。あなたならどうでしょうか。物語の終わりまで、ピノキオを信じて読み進めることができるでしょうか。

しかし、これを子供に読み聞かせするとなると、「こんなことをするとこうなるぞ」という良い教訓を教える教材にもなるのかも知れませんね。

実は太陽が勝ったのは二回戦で引き分け!北風と太陽

北風と太陽、と言えば北風と太陽が「ある旅人の上着を脱がせた方が勝ち」として、それぞれの強みを活かして力比べをする物語ですね。

北風は旅人に、力任せに冷たい息を吹きかけて、何とも強引にその上着を脱がせようとするのに対して、太陽は暖かい日差しで、上着を自ら脱ぐように旅人に促すため、「なるほどなあ、太陽は北風よりも頭が良い」というイメージを持っている方も多いのではないでしょうか。

また、物語のあらすじから受け取れる教訓として「人を動かすためには強引に接するよりも、優しく、思いやりを持って接しよう」ということを伝える物語である、と把握している方もおられるでしょう。

ですが実は原作では、こちらは二回戦目で、なんと一回戦目は力任せの北風が勝利していた、ということをご存知でしょうか。一回戦目では、頭の良さそうな太陽は、どうして北風に負けてしまったのでしょうか?今回はこちらの物語について紹介していきましょう。

さて、「北風と太陽」という童話は、「アリとキリギリス」「ウサギとカメ」「金の斧銀の斧」などと同じ作者であるイソップ寓話の中の一つです。元々は、太陽神のアポロンと北風の神ボアレスの物語でもあったのではないかと言われています。

先に記した通り、実は、物語として広く知られているのは二回戦目の太陽が勝利した勝負であり、一回戦目では旅人の上着ではなく「帽子」を脱がせた方が勝ちだ、という勝負をしていました。

太陽が、広く知られる物語と同じように、暑い日差しを旅人に与えてさんさんと照りつけると、旅人は日差しを避けようと、帽子をさらに深くかぶってしまったといいます。

これに対して、北風は旅人の帽子めがけて「びゅうー」と思いっきり強く冷たい息を吹きかけます。そうすると、旅人の帽子はあっという間に飛んで行ってしまいました。

このようなわけで、一回戦目は北風の勝ちとなりました。二回戦目は物語になっているように、旅人の上着を脱がせた方が勝ちという勝負を行うことになり、今度は太陽が勝ちます。

なので、北風と太陽の勝負は1対1で引き分け、ということになり、同時に物語の教訓も変化してくるのです。

現代の物語の教訓は上に示したように、「人を動かすのには、思いやりと優しさが必要である」ということでしたが、太陽が負けたエピソードがあると、以下のような教訓を示すことができるのではないかと思います。

それは、「人を動かすのにも何にしても、いつも同じやり方をしていてはいけない。いつも同じやり方では、うまくいくこともあるが、うまくいかないこともある。

時と場所、その場その場に合ったやり方をして成功をおさめることが重要である」…という教訓が導きだされるのではないでしょうか。

現代の物語の最後には、太陽は北風に対して「僕の勝ちだね。人を動かすには強引な力より、暖かい優しさが必要なのさ」と諭す場面もあり、その言葉が何だか鼻につく、という方もおられるようです。

ですが、原作のあらすじを加えると、「頭が良い」と思っていた太陽も、一回戦目も二回戦目も同じ作戦をとっており、北風と同じく自分の特徴を活かして勝負を行ったに過ぎなかった、ということで、北風も太陽も、頭の良さはあまり変わらないような気がしますね。

本来アリはキリギリスを見殺しにしていた?アリとキリギリス

アリとキリギリスの童話を覚えているでしょうか。ディズニーでは1934年にアニメ映画にもなっているので映像として覚えている方もおられるでしょう。働き者のアリと、歌ってばかりいる楽天的なキリギリスの童話です。

暑い夏の間アリは、食料が手に入らなくなる冬のためにせっせと食べ物を集めますが、キリギリスは毎日バイオリンを弾いたり歌ってばかりで楽しく過ごします。また、働いてばかりいるアリを「少しは遊んだら良いのに」とバカにすることもありました。

現代のあらすじやディズニー映画では、最終的にアリがキリギリスを助け、キリギリスは生き延びる場合が多いようですが、元々の原作ではそうではなかったようです。今回は、この童話について紹介していきましょう。

「アリとキリギリス」は「太陽と北風」「ウサギとカメ」「金の斧、銀の斧」「ガチョウと黄金の卵」などを作ったイソップ寓話の一つであり、元々は「アリとキリギリス」ではなく、「アリとセミ」でした。

確かに「夏の間歌ってばかりいた」という舞台設定には、秋に歌うイメージがあるキリギリスよりもセミの方がしっくりきますね。

しかし、イソップ寓話として作られた場所のギリシャから、ヨーロッパに伝わる際に、ヨーロッパでは、暑い場所にしか生息していないセミがあまりなじみがなかったことから、キリギリスへと書き換えられたようです。

また、日本に伝わった際には本家のギリシャからではなくヨーロッパから伝わったため、セミではなく、最初から「アリとキリギリス」として伝わってきました。

古くから俳句や和歌に詠まれるなど、昔からセミになじみのある日本なら、ギリシャから「アリとセミ」として伝わっていた場合、もしかしたらそのままのタイトルだったかも知れませんね。

さて、物語では夏が終わって秋になってやがて寒くなり、冬になった時にキリギリスは食料もなく、雪の降る中を凍えながら、アリの住んでいる家を訪ねてきます。

「寒くて食べ物もなくて、お腹がすいて凍え死にそうです。食べ物を分けてもらえませんか」というキリギリスにアリは「あなたは夏の間、どうして食べ物を集めなかったんですか?何をしていたんですか?」と尋ねます。

するとキリギリスは「歌ってばかりいたのでそれで忙しくて、集めませんでした」と答えます。好きなことをしていたのに「忙しくて暇がなかった」というこの答えは、何だか困った新人社員さんのような答えですね。

ここから、現代のあらすじではアリはキリギリスを家の中に入れてあげ、ご飯をごちそうして「たくさん食べて、また歌やバイオリンを聴かせてください」と言い、キリギリスはお礼にバイオリンと歌を歌う、という場合が多いようです。

ちょっと優しすぎるアリさんですね。「自由に自分の好きなことをしていても、誰かが尻拭いをしてくれる、何とかなる」という悪い教訓になりかねません。ところが、以前のあらすじでは、アリはキリギリスにこんな冷たい一言を言い放ちます。

「夏は歌っていたなら、冬は踊っていれば良いんじゃないですか?」そしてキリギリスを家に入れず、食べ物も分け与えず、キリギリスは凍え飢え死んでしまいます。

元々のあらすじの方が、自業自得と言うか子供に読み聞かせをするには、良い教訓になるような気がするのですが、どうでしょうか。

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