浦島太郎と言えば、浜辺でいじめられているカメを助けたら、海の中の竜宮城に案内され、しばらくその場でくつろいで帰ったら何百年も経過していた上に、お土産の玉手箱を開けたらおじいさんになってしまった…

という、良いことをしたのに最後はなぜかバッドエンド、という内容の昔話ですね。今回はこの浦島太郎について紹介していきましょう。

浦島太郎の歴史は古く、一番最初の原作は8世紀の初め頃に成立した「日本書紀」に登場します。その日本書紀では、浦島太郎とカメの出会いは現在とは異なっており、いじめられていたカメを「助けた」のではなく自分で「釣り上げた」となっています。

釣り上げたカメはなぜかその場で女に化け、浦島太郎はこのカメだった女を気に入って結婚します。そして二人で色々な場所の仙人に会ってまわった、というあらすじになっています。

その後、室町時代に入り、浦島太郎の物語はその頃に成立した「御伽草紙」に再登場します。御伽草紙になると、やっと現代に通じる「乙姫様」や「竜宮城」「玉手箱」などが登場します。

この御伽草紙の浦島太郎は、現代のものにかなり近づいていますが、異なる点がいくつかあります。まず、竜宮城で過ごした時間と、実際に過ぎていた時間が正確に記載されていることです。

御伽草紙によると、竜宮城で過ごした時間は3年間で、浦島太郎が「そろそろ帰ります」と自分の村に帰ると700年が経過していたというのです。700年も経ってしまうと、言語さえも変化していそうですよね。

次に、「決して開けてはいけない」と言われた玉手箱を開けておじいさんになった浦島太郎ですが、さらにその後、鶴に変身してしまいます。もちろん、この状態にビックリした浦島太郎は、竜宮城へ引き返し、乙姫様にその理由を尋ねます。

すると、正体がカメである乙姫様は、このように答えます。「鶴は千年、カメは万年生きられます。あなたはここにいる間に700年も経ってしまいました。鶴にでも変身しなければ死んでしまいます」

その答えに納得した浦島太郎は、残りの人生を、乙姫様と一緒に仲良く過ごしました、というハッピーエンドを迎えます。

その他、御伽草紙では浦島太郎が存在していた場所を「丹後の国…」と記しています。丹後の国とは現在の京都府の舞鶴のあたりとされており、京都府与謝郡には浦嶋神社という浦島太郎に縁のある神社があります。

この神社では、室町時代から伝わる玉手箱や、巻物などがある宝物資料館があり、予約制で見物できるようです。

また、縁のある地という点では、神奈川県横浜市も挙げられます。ここに伝わる話では、相模国三浦が出身の浦島太郎は、仕事で丹後の国に行っていた、となっており、玉手箱を開けておじいさんになった浦島太郎は、近所の人に聞いて大昔に亡くなってしまった両親の墓を探したとあります。

やっとのことで見つけた両親の墓の側に家を建てて住み、後々そこは観福寿寺というお寺になったということです。明治になって廃寺になってしまった観福寿寺ですが、そこにあった聖観世音菩薩像は神奈川県の運慶寺に安置されています。

昔話に縁のある地や、ものを見て回ると、物語と現実がつながるようでおもしろいですね。自分の好きな昔話の縁のある地を調べてみるのも良いでしょう。