金太郎は、そのかわいらしくたくましい姿からこどもの日の置物や、イラストなどにもよく起用されており、日本人にたいへんなじみ深いキャラクターかと思います。

しかし、そのあらすじを尋ねると「熊に乗っていることくらいしか知らない」という方がほとんどのようです。私も「金太郎にあらすじがあったのか!」と驚きました。

というのも、金太郎は昔話で有名になったと言うより、童謡で有名になった珍しいタイプのキャラクターだからです。そのため、歌詞にある「熊にまたがり相撲の稽古」という部分しか知らない、という方が多いのです。今回は金太郎のあらすじを紹介しましょう。

昔、足柄山の中に母親とその子供が仲良く暮らしていました。子供の名前は金太郎と言い、毎日森の中を駆け回っては、動物たちと相撲をとって遊んでいました。

ある時、偉いお侍さんの家来が森を通りがかった際に金太郎を見かけ、その力の強さを見込んで、一緒に京都に来て家来の一人になってほしいと、母親に御願いに来ます。

金太郎は母親が京都に勤めに行った際に身ごもった子であり、父親は京都で亡くなっていましたが
、元々は坂田という名字もあったことから、金太郎は坂田金時(さかたのきんとき)と名乗ることにして、京都で偉いお侍さんの家来になります。

その後、坂田金時はグングン力を発揮し「頼光四天王」と呼ばれるまでに成長します。それから36年後、福岡へ九州の賊を征伐に行く途中、重い熱病をわずらい、55歳でその生涯を閉じました。

その地域の人々は坂田金時を慕い、その遺体を栗柄神社という神社を建てて、祀ったということです。…以上が金太郎のあらすじです。童話にしては山場などがあまり無く、確かに覚えにくいストーリーですね。

坂田金時という人物が実際にいたかどうかはハッキリしていませんが、金時を祀ったとされる栗柄神社は、岡山県勝央町に実際に存在します。ということで、岡山県は桃太郎にも金太郎にも縁の地ということになります。

それから、金太郎は浮世絵の題材になったり、歌舞伎の題材、また童謡になったりしたことで広く日本中に知れ渡ることになります。

ちなみに、赤くて甘い煮豆の「金時豆」は坂田金時の名前が由来となっています。これは、金太郎が赤い頬をしていたからだとか、踏ん張って力を出す時に顔が真っ赤になったからだとかいう説があります。

さらに、「キンピラゴボウ」の金平の金太郎と関係の深い名前です。坂田金時には実際には子供はいませんでしたが、歌舞伎では金太郎の子供がいたら…という設定で物語が作られ、その金太郎の子供の名前を「坂田金平」としました。

キンピラゴボウはごぼうの歯ごたえが強く、トウガラシが辛いことから、強くたくましいイメージが付き「坂田金平のような料理」ということで、キンピラゴボウとなりました。

実在、架空の人物に関わらず、昔話の登場人物から今に伝わる料理の名前が決まるということは、たいへんおもしろいことですね。