マッチ売りの少女、という童話は、雪の降る寒い大晦日の夜にマッチが売れず、雪の中で暖かいストーブやおいしそうな七面鳥、亡くなった優しいおばあさんなどの幻を見ながら凍え死んでしまう、そんな悲しい童話ですね。童話の中でこれほど悲しい結末のものも珍しいと思います。

さて、そんなマッチ売りの少女ですが「それのトリビアなら聞いたことある!」という方の意見で多いのが、「マッチ売りの少女は実は売春婦だった」というトリビアです。

実は、原作にもどこにもそんな事実はなく、マッチ売りの少女はマッチしか売っていません。では、どこからそのような間違ったトリビアが広まってしまったのでしょうか。今回は、マッチ売りの少女について紹介していきましょう。

マッチ売りの少女は、1848年にハンス•クリスチャン•アンデルセンによって発表された童話で、現在に伝わっているものと原作とでは、とくに大きな違いはありません。

アンデルセンは、この物語を作るにあたってどういった思いで作ったのかというと、自伝などにははっきりとは記されてはいないのですが「自分の母親が幼い頃、経済的にとても貧しかったため、世の中にはこのような境遇の人もいる、ということを世の中に伝えたい、知ってほしい」

という思いで作ったのではないか、という見解が、アンデルセンの研究者たちにより導きだされています。

また、物語が作られた当時「この結末は童話にしては悲しすぎるから、変えてくれないか」という読者からの問い合わせも多く起こったそうです。

しかし、アンデルセンによると「この少女はこうしておばあさんの魂に導かれて死んでしまうことでしか、幸せになることはできない、これが彼女にとって最善の方法である」として、結末を変えなかったとのことです。

生きていても、マッチが売れなければ家に入れない、少女をすぐに叱る、そんな父親と一緒に住むしかない、他に行く当ても無い、死ぬことでしか幸せになれない少女の境遇…とても悲しいですね。

さて、それではどこでマッチ売りの少女が売春婦の話になってしまったか、という話にもどりましょう。その原因はどこにあったか、というと、どうやらそれは、作家の「野坂昭如」が1966年に発表した同名の小説である「マッチ売りの少女」にあるようです。

この小説の内容は、大阪は西成区の街中に立って客をとっている「たちんぼ」と呼ばれる街娼婦の話で、マッチの明かりが灯っている間だけ、立ったままの格好で着物の中に客を招き入れて、股を開いて中を見せてくれる、という商売をしている女性の話です。

昔は実際にこのような商売をしている方はいたようですが、いつしかその小説のこのエピソードだけが一人歩きをして、アンデルセンのマッチ売りの少女の話と重なってしまったようです。

まさか、このような風俗の話と子供向けのアンデルセンの童話が重なってしまうとは、人の「うわさ」や「裏話」を伝える力というもののすごさを感じますね。