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叶わなかった恋に海の泡に、または火あぶりになった人魚姫

人魚姫、といえばディズニーなどでもアニメになっていたり、ミュージカルにもなっていたりするので、あらすじをよく知っている方も多いでしょう。

とくにディズニーのアニメでは、王子様と人魚姫はハッピーエンドで終わるために原作も、そうではないのか、と思っている方もいらっしゃるかと思います。

しかし、原作では人魚姫の恋は叶わず、海の泡になってしまったり、本によっては火あぶりにされて死んでしまう、という悲惨な結末のものもあるようです。今回はこの人魚姫について紹介していきましょう。

人魚姫は、「裸の王様」「マッチ売りの少女」「みにくいアヒルの子」「親指姫」などの作者であるアンデルセンによって書かれた童話で、一番最初に世の中に出回ったのは、1836年のことでした。

アンデルセンは、70年という生涯の中で、恋をすることはあってもその恋が叶うことは無かったと言われており、一生を独身のまま過ごしました。

人魚姫の原作では、彼女もまた、最後までその思いが王子様に伝わることはなく、短い人生を終えます。人魚姫の童話は、そんな「恋が叶うことが無かった」というアンデルセンの悲しみや苦しみが反映されている…とも言われている作品です。

人魚姫は、海の中から海面に顔を出した時に偶然見かけた豪華な船の上王子様に一目惚れをします。まもなくその船が転覆し、王子様が海に投げ出されてしまったことで、人魚姫は浜辺で王子様を介抱します。

ところが、浜辺の向こうから人間の女性がやってきたために身を潜めると、王子様は目を覚まし、その女性が介抱してくれたもの、と思い込みます。どうしても、愛する王子様に「介抱したのは自分だ」と伝えたい人魚姫は海の魔女のところまで行って、人間の脚を手に入れようとします。

原作によると、ヒレから変えてもらった人間の脚は、歩くたびに酷い激痛が走ったようです。また、多くの童話では、「脚と引き換えに人魚姫は美しい声を奪われた」とだけ書いてありますが、訳された原文によっては、「舌を切られたために声を出せなくなった」という記載があります。

その後、王子様と人魚姫は話ができないながらも交流を深めますが、残念ながら王子様は浜辺で出会った人間の女性との結婚を決めてしまいます。

海の魔女に「王子と結婚できなければ水の泡になって消えてしまう、人魚にも二度と戻れない」と言われていた人魚姫、そんな彼女のことを思ってお姉さんたちが、海の魔女から魔法の短剣を借りてきます。

日が昇るまでに、その剣で王子を刺して王子の血を脚に垂らせば、再び人魚に戻れて海の中で暮らせるということでしたが、人魚姫は王子様を刺すことができずに、日の出とともに海の泡となって消滅してしまった、というのが原作のあらすじです。

または、王子様の部屋に短剣を持って忍び込んだ際、家来たちに見つかり、王子を殺そうとしていたという罪で火あぶりになった、という結末のものもあるようです。

アンデルセンも失恋した時「海の泡になって消えることができたら、とても楽なのに」という思いでこのような結末にしたのかも知れません。

ダメ人間(人形?)具合に思わず呆れる…ピノキオの冒険

ピノキオ、といえばディズニーでもアニメ映画になっていたり、実写CG映画にもなっていたりするので、あらすじもよく知っているという方も多いでしょう。

「ゼペットじいさん」によって、ただの棒切れから、人形の姿にしてもらった木製の人形「ピノキオ」が、色々な世の中の悪者にだまされそうになったり、大きなサメに飲み込まれたりしながらも、最後には妖精の力をかりて立派な人間の少年になるという物語ですね。

本来は「ピノキオ」ではなく「ピノッキオの冒険」というタイトルとなっています。今回はこちらの童話について紹介していきましょう。

さて、ピノキオは1883年に初めてイタリアで本が発行されました。作者はカルロ•コッローディという人物で、その他の作品には「ピピの冒険 森の小猿」などが挙げられます。

現代の物語ではピノキオは、最終的にはゼペットじいさんと協力して、大きなサメの腹の中から脱出するという、「勇気ある優しい少年」というイメージを持っている方もおられると思います。

しかし原作でのピノキオは、当初は人の忠告など話も聞かない、すぐにうまいはなしに何度も懲りずにだまされるというダメダメ人間(ダメダメ人形?)ぶりでした。そのダメダメな例をいくつか紹介していきましょう。

街中を逃げ回って騒ぎになったことで、ゼペットじいさんが牢屋に入れられてしまったのを良いことに「うるさい人間がいなくなった、遊んで暮らせる」と浮かれているピノキオに、忠告をしてくれたコオロギに対し、「うるさい」と木槌を投げつけて殺してしまいます。

学校へ行くのに必要な練習帳を、お金が無いので、寒い中上着を売ってまで買ってくれたゼペットじいさん。そうしてやっと手に入れた練習帳を、ピノキオは通学途中で見つけた人形芝居小屋に入りたいがために、売って入場料に変えてしまいます。

街で出会った、脚を引きずる怪しいキツネと、目が見えない猫に「君の持っている5枚の金貨を土の中に埋めて、水と塩をやるとたくさんの金貨が成る、金貨の木が生える場所があるから行こう、金貨の木を生やそう」と言われその話を簡単に信じて、実行しようとします。

まじめな男の子になると決意してすぐ、遊んで暮らせる「おもちゃの国」という場所に誘われて付いて行き、結局その場所で半年近くもの間遊んで暮らします。その結果、ロバの耳がはえて最後には体全体もロバに変化してしまい、サーカス小屋へ売り飛ばされます。

その他にも、本編には色々なエピソードがあります。世の中には確かにうまい話や楽しいことがたくさんあると思います。しかし、ここまでたくさんの誘惑が出てくる童話と、そのすべてにだまされる主人公も珍しいのではないでしょうか。

私なら、物語を読んでいる間にそんなだらしない主人公のピノキオに愛想を尽かしてしまうかも知れません。あなたならどうでしょうか。物語の終わりまで、ピノキオを信じて読み進めることができるでしょうか。

しかし、これを子供に読み聞かせするとなると、「こんなことをするとこうなるぞ」という良い教訓を教える教材にもなるのかも知れませんね。

実は太陽が勝ったのは二回戦で引き分け!北風と太陽

北風と太陽、と言えば北風と太陽が「ある旅人の上着を脱がせた方が勝ち」として、それぞれの強みを活かして力比べをする物語ですね。

北風は旅人に、力任せに冷たい息を吹きかけて、何とも強引にその上着を脱がせようとするのに対して、太陽は暖かい日差しで、上着を自ら脱ぐように旅人に促すため、「なるほどなあ、太陽は北風よりも頭が良い」というイメージを持っている方も多いのではないでしょうか。

また、物語のあらすじから受け取れる教訓として「人を動かすためには強引に接するよりも、優しく、思いやりを持って接しよう」ということを伝える物語である、と把握している方もおられるでしょう。

ですが実は原作では、こちらは二回戦目で、なんと一回戦目は力任せの北風が勝利していた、ということをご存知でしょうか。一回戦目では、頭の良さそうな太陽は、どうして北風に負けてしまったのでしょうか?今回はこちらの物語について紹介していきましょう。

さて、「北風と太陽」という童話は、「アリとキリギリス」「ウサギとカメ」「金の斧銀の斧」などと同じ作者であるイソップ寓話の中の一つです。元々は、太陽神のアポロンと北風の神ボアレスの物語でもあったのではないかと言われています。

先に記した通り、実は、物語として広く知られているのは二回戦目の太陽が勝利した勝負であり、一回戦目では旅人の上着ではなく「帽子」を脱がせた方が勝ちだ、という勝負をしていました。

太陽が、広く知られる物語と同じように、暑い日差しを旅人に与えてさんさんと照りつけると、旅人は日差しを避けようと、帽子をさらに深くかぶってしまったといいます。

これに対して、北風は旅人の帽子めがけて「びゅうー」と思いっきり強く冷たい息を吹きかけます。そうすると、旅人の帽子はあっという間に飛んで行ってしまいました。

このようなわけで、一回戦目は北風の勝ちとなりました。二回戦目は物語になっているように、旅人の上着を脱がせた方が勝ちという勝負を行うことになり、今度は太陽が勝ちます。

なので、北風と太陽の勝負は1対1で引き分け、ということになり、同時に物語の教訓も変化してくるのです。

現代の物語の教訓は上に示したように、「人を動かすのには、思いやりと優しさが必要である」ということでしたが、太陽が負けたエピソードがあると、以下のような教訓を示すことができるのではないかと思います。

それは、「人を動かすのにも何にしても、いつも同じやり方をしていてはいけない。いつも同じやり方では、うまくいくこともあるが、うまくいかないこともある。

時と場所、その場その場に合ったやり方をして成功をおさめることが重要である」…という教訓が導きだされるのではないでしょうか。

現代の物語の最後には、太陽は北風に対して「僕の勝ちだね。人を動かすには強引な力より、暖かい優しさが必要なのさ」と諭す場面もあり、その言葉が何だか鼻につく、という方もおられるようです。

ですが、原作のあらすじを加えると、「頭が良い」と思っていた太陽も、一回戦目も二回戦目も同じ作戦をとっており、北風と同じく自分の特徴を活かして勝負を行ったに過ぎなかった、ということで、北風も太陽も、頭の良さはあまり変わらないような気がしますね。

本来アリはキリギリスを見殺しにしていた?アリとキリギリス

アリとキリギリスの童話を覚えているでしょうか。ディズニーでは1934年にアニメ映画にもなっているので映像として覚えている方もおられるでしょう。働き者のアリと、歌ってばかりいる楽天的なキリギリスの童話です。

暑い夏の間アリは、食料が手に入らなくなる冬のためにせっせと食べ物を集めますが、キリギリスは毎日バイオリンを弾いたり歌ってばかりで楽しく過ごします。また、働いてばかりいるアリを「少しは遊んだら良いのに」とバカにすることもありました。

現代のあらすじやディズニー映画では、最終的にアリがキリギリスを助け、キリギリスは生き延びる場合が多いようですが、元々の原作ではそうではなかったようです。今回は、この童話について紹介していきましょう。

「アリとキリギリス」は「太陽と北風」「ウサギとカメ」「金の斧、銀の斧」「ガチョウと黄金の卵」などを作ったイソップ寓話の一つであり、元々は「アリとキリギリス」ではなく、「アリとセミ」でした。

確かに「夏の間歌ってばかりいた」という舞台設定には、秋に歌うイメージがあるキリギリスよりもセミの方がしっくりきますね。

しかし、イソップ寓話として作られた場所のギリシャから、ヨーロッパに伝わる際に、ヨーロッパでは、暑い場所にしか生息していないセミがあまりなじみがなかったことから、キリギリスへと書き換えられたようです。

また、日本に伝わった際には本家のギリシャからではなくヨーロッパから伝わったため、セミではなく、最初から「アリとキリギリス」として伝わってきました。

古くから俳句や和歌に詠まれるなど、昔からセミになじみのある日本なら、ギリシャから「アリとセミ」として伝わっていた場合、もしかしたらそのままのタイトルだったかも知れませんね。

さて、物語では夏が終わって秋になってやがて寒くなり、冬になった時にキリギリスは食料もなく、雪の降る中を凍えながら、アリの住んでいる家を訪ねてきます。

「寒くて食べ物もなくて、お腹がすいて凍え死にそうです。食べ物を分けてもらえませんか」というキリギリスにアリは「あなたは夏の間、どうして食べ物を集めなかったんですか?何をしていたんですか?」と尋ねます。

するとキリギリスは「歌ってばかりいたのでそれで忙しくて、集めませんでした」と答えます。好きなことをしていたのに「忙しくて暇がなかった」というこの答えは、何だか困った新人社員さんのような答えですね。

ここから、現代のあらすじではアリはキリギリスを家の中に入れてあげ、ご飯をごちそうして「たくさん食べて、また歌やバイオリンを聴かせてください」と言い、キリギリスはお礼にバイオリンと歌を歌う、という場合が多いようです。

ちょっと優しすぎるアリさんですね。「自由に自分の好きなことをしていても、誰かが尻拭いをしてくれる、何とかなる」という悪い教訓になりかねません。ところが、以前のあらすじでは、アリはキリギリスにこんな冷たい一言を言い放ちます。

「夏は歌っていたなら、冬は踊っていれば良いんじゃないですか?」そしてキリギリスを家に入れず、食べ物も分け与えず、キリギリスは凍え飢え死んでしまいます。

元々のあらすじの方が、自業自得と言うか子供に読み聞かせをするには、良い教訓になるような気がするのですが、どうでしょうか。

よく見たらたどり着いてない…ブレーメンの音楽隊

ブレーメンの音楽隊、という童話を覚えているでしょうか。年老いたロバが先頭となって、犬、猫、ニワトリの4匹が一緒にドイツのブレーメンを目指す物語です。

年老いたり、体が故障したりと、人の役に立てない体になっていた彼らは、飼い主に処分されそうになったため家出をして、自由都市のブレーメンで音楽家になって、楽しく暮らそうとしていました。

実際、ドイツはブレーメンの旧市街の庁舎前には、ロバの上に犬、猫、ニワトリが乗ったブロンズの銅像もあり、そのロバの足をなでると願い事が叶うということで、ロバの足はピカピカになっておりちょっとした観光スポットにもなっています。

さて彼らがブレーメンに着く前に、ブレーメンを目指すのをやめてしまった理由とは何だったのでしょうか。また、ブレーメンという都市を目指していた理由も紹介していきましょう。

ブレーメンの音楽隊は、グリム兄弟が書いた童話で、古くはドイツの民話として12世紀頃には広く知られていたと言われています。

道中で出会った4匹は、ブレーメンを目指していましたが、途中で泥棒の家を見つけます。泥棒の家には、泥棒も住んでいましたが、ごちそうも宝物もあったことから、動物たちは「何とかして泥棒たちを家から追い出してしまおう!」と作戦を立てます。

そして、4匹はロバの上に犬が、犬の上に猫が、猫の上にニワトリが乗って、窓の近くに立ち、恐ろしい影絵を映し出して、めいめいが鳴き叫ぶことで、泥棒たちに「お化けだ」と思わせて彼らを追い出すことに成功します。

動物たちは、この家で一休みして再びブレーメンを目指す予定だったのでしょうが、予想以上にこの家の住み心地が良く、そのままこの家に住み着いてしまい、ブレーメンに行くことはなかったということです。

ブレーメンに行かなくても、気の合う仲間がいれば楽しく暮らせる、ということなのでしょう。そでは、彼らがなぜブレーメンを目指していたのかというと、当時ブレーメンは自由ハンザ同盟に加入していたためです。

自由ハンザ同盟とは北ドイツを中心にバルト海の貿易を独占した同盟で、ヨーロッパ北部の経済を支配していました。これに加入している都市は、全盛期にはブレーメンを含め200都市ほどあり、主なものにはリューベック、ハンブルクなどが挙げられます。

自由ハンザ同盟に加入している都市は自由ハンザ都市と呼ばれ、色々な人やものが多く出入りすることから、活気にあふれ仕事も豊富で、例えば元々は農家の人間でもロバたちでも、音楽の才能があれば音楽家になれて、楽しく暮らせる可能性がありました。

そこでロバたちは、ブレーメンを目指していたのですが、彼らは自由な都市に着く前に自由に暮らせる場所を見つけて、そこで幸せになった、というエンディングになっています。

タイトルに「ブレーメンの音楽隊」と付いているのにブレーメンに着いていないし、音楽隊にもなっていなんて、おもしろい話ですよね。

なので、ブレーメンの音楽隊を正確に表すとしたら、「ブレーメンを目指した音楽隊」「ブレーメンを目指していた4匹」「ブレーメンで音楽隊になろうとしていた4匹」ということになるのではないでしょうか。

なんと眠っている間に犯され双子を出産!眠り姫

眠り姫、と言えばディズニーなどでは「眠れる森の美女」というタイトルでアニメ化されている有名な童話ですね。また実写版でもディズニーの「マレフィセント」という作品があります。

眠り姫のその他の呼び名には「いばら姫」などが挙げられますが、もっとも古い原作では、「太陽(日)と月とターリア」というタイトルが挙げられます。

さて、今回取りあげるのは、このもっとも古い原作でのエピソードです。それでは早速紹介していきましょう。

眠れる森の美女は、元々はヨーロッパに伝わる民話であり、現在主に知られているのは、グリム兄弟が童話に書き直したものです。

ちなみにグリム兄弟以前には、赤ずきんちゃんなどの作者であるシャルル•ペローが童話にしていました。

このペロー版よりも古いものが、ジャンバッティスタ•バジーレの童話集「ペンタメローネ」に収録されている「太陽と月とターリア」です。

グリム版のあらすじと、ペロー版のあらすじの違いは、王女誕生のお祝いの会に呼ばれる魔女の数が、12人であるか8人であるかということと、ペロー版では、王子様のキスで目覚めるのではなく、ちょうど呪いが解ける時期だったため、王女は王子様の前で自ら目覚める、などの違いがあります。

その他、ペロー版では王女が眠ったあと、王様とお妃様は、魔法使いに相談して家来や料理番などは王女と同じように百年の眠りにつかせますが、自分たちは城を離れて普通に暮らし、一生を終えます。

また、呪いを解いた王子様と王女が結婚した後日談が記載されてあり、そこではなぜか、王子様の母親が人食い魔女であり、王女とその子供たち(男女の双子)を食べようとしたが、王子に撃退されたというエピソードがあります。

こちらは、古い原作の名残りのエピソードなのではないかと思えますが、王子様のある行動が省かれてしまっているので「どうしていきなり母親が人食いに?」という状態になってしまっていますね。

さて、それでは母親が人食いになってしまった、王子様の問題のある行動とは、いったい何だったのでしょうか。

もっとも古い原作の太陽と月とターリアでは、眠る王女の名前は「ターリア」となっており、眠りに落ちている城を偶然訪ねてくるのは、王子様ではなく、鷹狩りをしていた王様であるとなっています。

100年の時が経ち呪いが解けようとしていた城に訪ねて来た王様は、美しい眠り姫のところへたどり着き、その美しさに心を奪われます。

そして眠っている状態の王女をそのまま犯してしまった、というエピソードがあるのです。行為後王女は目を覚まさなかったので、王様はそのまま自分の国へ帰ります。

そして、王女は眠っている間に男女の双子を出産します。この双子の名前がタイトルにある「太陽」と「月」でした。間もなく指に刺さっていた針が取れて王女は目を覚まします。

王女を孕ませた王様も、自分の国から戻ってきて双子の誕生を喜びます。ここで問題なのは、王子様ではなく王様なので既にお妃様があったことです。

案の定、王様の浮気にお妃様は気付き嫉妬に燃えます。そして王様のフリをして双子を自分の国へ呼び寄せ料理長に二人をスープにするよう命じます。

料理長は機転を利かせ、子やぎの肉にすり替えます。そして次はターリアを呼び寄せて火あぶりで殺そうとしますが、それに気づいた王様によって、逆に火の中へ放り込まれるというエンディングを迎えます。

すべての原因は、王様の浮気にあったという童話らしからぬ童話ですね。しかしこれが、童話の原作のおもしろいところでしょう。

負けたウサギにはその後の名誉挽回物語がある?ウサギとカメ

ウサギとカメ、という童話を一度は読んだことがあるのではないでしょうか。ある日、かけっこで勝負をすることになったウサギとカメの話ですね。

「まさかのろまのカメに負けるはずがない」、と自分の力を過信したウサギはレースの途中で居眠りをしてしまい、その間にカメがゴールしてしまった、というお話です。また、ウサギが夜行性であることもカメが勝利する要因になったようです。

ちなみに、ウサギもカメも日本になじみ深い動物であることから、「これは日本が原作の昔話だ」と思っている方も多いのではないでしょうか。

しかし、この物語はイソップ童話の一つで、海外からやってきたお話です。日本に流入した年代については室町時代の後期以降と言われており、一般に知られるようになったのは、明治時代に教科書に載ってからのようです。

また、その頃のタイトルは現代の「ウサギとカメ」ではなく「油断大敵」というタイトルでした。まさにその通りですね。

さて、このウサギとカメですが、負けてしまったウサギにはその後の続きの物語が存在しているようです。今回は、その続きの物語を紹介していきましょう。

タイトルは「負けウサギ」というタイトルになっており、新潟県に伝わる民話とされているため、イソップ童話として伝わってきたその後に、どなたかが作り、語り継いで来た物語なのでしょう。

その物語とは、のろまのカメに負けてしまったウサギは、ウサギの仲間たちからバカにされ「おまえはウサギの恥さらしだ」と住んでいた場所を追い出されてしまいます。

しかし、近所に住むオオカミが、自分の住みかだった場所の子ウサギを狙っていると知ります。オオカミから子ウサギを守れば、一緒に暮らしていた仲間も認めてくれるのではないか、そう思った負けウサギは、仲間のところへ行って、自分がオオカミをやっつけてやると宣言します。

負けウサギは一人でオオカミのところへ行き、オオカミに言います。「子ウサギを連れてきたいのですが、オオカミさんの顔を見ると子ウサギたちが怖がるので、連れてこられません。良いと言うまで、後ろを向いていてもらえませんか」

そう言ってオオカミを後ろ向きに崖に立たせると、負けウサギは後ろからオオカミを思いっきりどつき、オオカミを谷底へ落としてしまいました。オオカミはそのまま崖下へ落ちて死んでしまいました。

そして、子ウサギたちはオオカミに食べられずに済み、負けウサギは英雄として仲間に温かく迎え入れられ、住んでいた場所に帰ることができました。というものです。

その他にも、地域によっては、ウサギとカメが再びかけっこをして今度はウサギが勝った、とするものもあるようです。

その場合は、カメのセリフが印象的で、かけっこの勝負の後に微笑んでいるカメを見て、ウサギが「どうしてそんなに嬉しそうなんだい?」と尋ねます。

するとカメは、「一度目の時よりもタイムが縮まったから」と答えるようです。カメは、ウサギと勝負していたと同時に、実は過去の自分と勝負していたという深い内容ですね。

昔話や童話は、人に読み継がれ親しまれているほど、作家や読む人の心に残り、「あの主人公はこの後こうなったのではないか、こうなれば良いな」などの想像がふくらみ、地域によって色々な物語が誕生するのでしょう。

原作では欲張りじいさんの自己中な行動が酷い!花咲か爺さん

花咲か爺さんという昔話を覚えているでしょうか。「枯れ木に花を咲かせましょう」というフレーズが印象的な昔話です。

このあらすじも、現在のものではいくらかソフトな表現になっている場合が多いようですが、元々の原作ではどうだったのでしょうか。今回はこちらの昔話についてご紹介しましょう。

花咲か爺さんという昔話は、元々は「花咲か爺」や「枯れ木に花咲かせ爺」という題名で発表された昔話で、室町時代から江戸時代末期にかけて成立した歴史の古い昔話です。

物語の登場人物には、一組のおじいさんおばあさんと、彼らに拾われ可愛がられる白い犬、そしてそのおじいさんたちとは対照的に欲の深い、もう一組のおじいさんおばあさんが出てきます。

現在の物語では、最終的に欲張りなおじいさんおばあさんは自分たちの行いを悔い改め、平和なエンディングを迎えるものが多いようですが、原作では彼らの欲深さが際立っています。

まず、おじいさんとおばあさんが畑仕事をしていた際、かわいがっていた犬(名前はシロ)が、「ここ掘れワンワン」と鳴き始めたので、そこを掘ると大判小判がたくさん掘り出されます。おじいさんたちは裕福になり、近所にもその福をお裾分けしたのですが…

「うちの畑でも大判小判をいっぱい掘り出してほしい!」と、この状況を妬んだ欲張りなおじいさんおばあさんは、シロを無理矢理に自宅の畑に連れて来て、「大判小判を探せ!」とどついたり蹴ったりします。

その結果、シロはある場所でワンワンと鳴くのですが、そこを掘ってもがらくたしか出てきませんでした。怒った欲張りの老夫婦は、持っていたくわでシロを殺してしまいます。

シロの飼い主のおじいさんたちはたいへん悲しみ、シロの亡骸を引き取るとお墓を作り、お墓の側には松の木の苗を植えて供養します。するとその木は、すぐに大きな木へと急成長しました。

「シロは餅が好きだったなあ」と大きく成長した木を見たおじいさんはシロを思い、「そうだ、この木で臼を作ってお持ちをついてやろう」早速その松の木を切り倒し臼を作っておばあさんとお餅をつくと、餅の中から再び大判小判が溢れ出てきます。

これを見た欲張りじいさんは、「羨ましい!」と思いその臼を強引に借りて餅をつきます。しかし餅からはゲテモノや汚物しか出てきません。怒った欲張りじいさんとおばあさんは、借り物の臼を斧で割って薪にして燃やしてしまいます。

シロの飼い主のおじいさんたちはその灰を引き取り、シロの墓へまいて供養しようとしましたが、どこからか暖かな風が吹いて来て、庭の草木にかかったかと思うと、そこら中の花が咲き始め、おじいさんの庭は美しい春景色になります。

「枯れ木に花を咲かせましょう」と言って歩いていると、大名とすれ違います。大名は「おもしろい、それではその桜を咲かせてみよ」と言うのでおじいさんは、枯れ木の桜の木に灰を振りまくと見事な花が咲きました。

その花があまりにも美しいので、大名はおじいさんにたくさんの褒美を授けます。これを見た欲張りじいさんたちは、真似をして灰を撒きますが、花は咲かず、灰が大名の目に入ったことで罰せられます。

最後の最後にすっきりしましたね。これでシロも少しは報われたことでしょう。しかし、欲張りな人はどこまでも欲張りです。人に優しく接するという心の余裕を持って、暮らしたいですね。

なぜか誤ったトリビアが広まってる?マッチ売りの少女

マッチ売りの少女、という童話は、雪の降る寒い大晦日の夜にマッチが売れず、雪の中で暖かいストーブやおいしそうな七面鳥、亡くなった優しいおばあさんなどの幻を見ながら凍え死んでしまう、そんな悲しい童話ですね。童話の中でこれほど悲しい結末のものも珍しいと思います。

さて、そんなマッチ売りの少女ですが「それのトリビアなら聞いたことある!」という方の意見で多いのが、「マッチ売りの少女は実は売春婦だった」というトリビアです。

実は、原作にもどこにもそんな事実はなく、マッチ売りの少女はマッチしか売っていません。では、どこからそのような間違ったトリビアが広まってしまったのでしょうか。今回は、マッチ売りの少女について紹介していきましょう。

マッチ売りの少女は、1848年にハンス•クリスチャン•アンデルセンによって発表された童話で、現在に伝わっているものと原作とでは、とくに大きな違いはありません。

アンデルセンは、この物語を作るにあたってどういった思いで作ったのかというと、自伝などにははっきりとは記されてはいないのですが「自分の母親が幼い頃、経済的にとても貧しかったため、世の中にはこのような境遇の人もいる、ということを世の中に伝えたい、知ってほしい」

という思いで作ったのではないか、という見解が、アンデルセンの研究者たちにより導きだされています。

また、物語が作られた当時「この結末は童話にしては悲しすぎるから、変えてくれないか」という読者からの問い合わせも多く起こったそうです。

しかし、アンデルセンによると「この少女はこうしておばあさんの魂に導かれて死んでしまうことでしか、幸せになることはできない、これが彼女にとって最善の方法である」として、結末を変えなかったとのことです。

生きていても、マッチが売れなければ家に入れない、少女をすぐに叱る、そんな父親と一緒に住むしかない、他に行く当ても無い、死ぬことでしか幸せになれない少女の境遇…とても悲しいですね。

さて、それではどこでマッチ売りの少女が売春婦の話になってしまったか、という話にもどりましょう。その原因はどこにあったか、というと、どうやらそれは、作家の「野坂昭如」が1966年に発表した同名の小説である「マッチ売りの少女」にあるようです。

この小説の内容は、大阪は西成区の街中に立って客をとっている「たちんぼ」と呼ばれる街娼婦の話で、マッチの明かりが灯っている間だけ、立ったままの格好で着物の中に客を招き入れて、股を開いて中を見せてくれる、という商売をしている女性の話です。

昔は実際にこのような商売をしている方はいたようですが、いつしかその小説のこのエピソードだけが一人歩きをして、アンデルセンのマッチ売りの少女の話と重なってしまったようです。

まさか、このような風俗の話と子供向けのアンデルセンの童話が重なってしまうとは、人の「うわさ」や「裏話」を伝える力というもののすごさを感じますね。

一寸法師が旅に出た理由は、両親に嫌われていたから?

一寸法師、というと小さい男の子が京都へ行き、大きな鬼を倒した後、鬼が置いて行った打ち出の小槌で長身の青年になったことで、立派なお侍となって、お姫様と結ばれ幸せになった、という昔話ですね。

現在のあらすじでは、一寸法師は自らすすんで「京都へ行ってみたい、お侍になりたい!」と申し出たようになっていますが、元々の原作ではちょっと事情が違ったようです。今回は、この一寸法師について紹介していきましょう。

一寸法師は、元々は鎌倉時代から江戸時代にかけて成立した「御伽草紙」に掲載された物語で、古い歴史のある昔話です。

産まれたときから身長が「一寸」しかなかったことから「一寸法師」と名付けられたのですが、一寸という長さ、現代では使わないのでいまいち分かりづらいですよね。

一寸、という長さを現代のメートル法に直すと、実は、3cmという大きさになります。改めてその小ささにびっくりしますね。人の息で吹き飛んでしまいそうな大きさです。

さて、そんな一寸法師を産んだのは、子供が無かったために「子供をください」と望んで一寸法師を授かった老夫婦です。

その生みの親のおじいさんおばあさんは、産まれてから何年経っても3cmという大きさから成長しなかった一寸法師を見て、「これはもしかして化け物なのではないか」と気味悪がったらしいのです。

そんな空気を肌にひしひしと感じた一寸法師は、「京都へ出る」と、家出をするように京都へ出ました。それが、原作と現代の一寸法師との大きな違いです。

その他、現代のあらすじでは、一寸法師がお姫様を鬼から助けたのは、お宮参りの途中で鬼に出会ったから、となっていますが、原作では鬼の住む薄気味悪い島に流れ着いたために、鬼と戦うことになったとしています。

というのも、一寸法師が京都へ上がってから住まわせてもらった宰相の家のお姫様に、一寸法師が惚れ込み、「この子をお嫁さんにしたい」と思ったのですが、自分の身長ではそれは叶うまいと思った一寸法師はひと芝居打つことにしたのです。

その芝居とは、お姫様が寝ている間に神棚の米をお姫様の口になすり付け、一寸法師は「自分の米をお姫様が食べてしまった」と泣きわめくことことでした。

人様の米を盗み食いするような娘は家には置いておけない、とお姫様と一寸法師はともに家を追い出され、船に乗って海に出たところ、鬼のいる島へ流れ着くことになります。現代のあらすじの方が、とても分かりやすくなっていますね。

また、一寸法師が元々住んでいた地域についてですが、御伽草紙に「住み慣れし難波の浦をたちいでて都へ急ぐ我が心かな」という記述があるようです。このため、彼は、三津寺から難波付近に住んでおり、京都へ出発したのは、道頓堀川を伝って行ったのではないかと、されています。

最後に鬼が置いて行った打ち出の小槌で、長身の青年になった、と言われる一寸法師ですが、その身長をご存知でしょうか。

一寸、とい大きさに合わせて記すと、その身長は6尺の大きさになったということです。6尺を現代のメートル法に直すと、だいたい182cmという高さになります。

3cmから182cmという、約60倍もの高さに成長して、一寸法師自身もさぞかし驚いたのではないでしょうか。

ちなみに大きく成長した一寸法師の、鬼を退治したという武勇伝は京都でも広まり、一寸法師は帝に呼ばれ、気に入られて中納言という高い役職にまで出世したということです。

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